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国鉄特急型、ほとんど最後かあ・・・ [山陰]

 仕事ばっかりでしたが、熱だしてぶっ倒れてクラシック聞いてたら書きたくなったので思い出したように投稿します。

 先週の金曜で、今度は私の地元からくろしおと北近畿系統の381が撤退しました。転用のうわさもあるようですが、まあ、ほぼないでしょうね。

 紀勢西線の方は数年前にある程度撮り切っていたので、ここ最近は決して多くない帰省期間を北近畿系統に回していましたが、まあ限界があったかなあ・・・。

 それでも思ったより撮るところが多様だったのと、私自身にとって非常に身近で訴えかけるもののある風景群に出会えたのが収穫だったかなあと。今後も帰省の際のお楽しみにしておくかなあ、とか。

 任地近辺にも183が臨時で多少残っているのですが、どうも定期しか狙う気が起きないので・・・。近場のおはようライナーは平日。送り込みはなんとかならなくもないけど朝から辛い。

 あとはやくも、かあ。ある程度撮影地知ってるし、課題もたくさん持ってるけど、遠いなあ。実家から3時間となると、2日休みだけでは収まらなさそうな気がします。でも、どこかでやってしまいそうな気がしてならない 笑



 それでは、次の期待を込めて。季節感ズレまくりですが、国鉄色付き「やくも」。381らしい活躍の場が残ったのは長年のファンにはありがたいところです。あとは、一つ、お願いしたいところですかね 笑





2010.5.1 伯備線 上菅-黒坂






 
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しばし、帰省 [山陰]

 少し空きました。

 連休中は1日目に羽越線行っていましたが、残りは帰省。今日、任地に戻ってきました。

 とはいっても、親戚周りやら友人との会だとか撮影とかでほとんど休む間もなく帰ってきたという形になりました。



 散々動き回ったわりにはなぜか元気なのですよねえ。

 1年がかりで仕込んでいた仕事が一区切りついたというのが大きいのか、何なのか。

 自分でもびっくり。

 どっかでバタリと来ないといいんだけど(^^;)



 帰省中の撮影は、ほぼ福知山の381系でした。

 実はこれまでまともに撮ったことが1回しかなく、一気に撮影したという形になりました。

 気が向いたら連休特集でもやりますかね・・・。

 

 ま、せっかくなので、1枚。





2015.5.1 山陰本線 下山-和知


 国鉄去りて30年近くが経ち、大半の国鉄型が鬼籍入りした中で、国鉄色の381が京阪神のほど近くでかなりの本数走っているというのは意外としかいいようのない展開。

 撮影地も思いのほかいいところが多数。

 本数がやや少ないですが、特に山陰線の綾部以東は秀逸という印象を持っています。

 赤い鉄橋を何本もわたって谷筋を駆け抜ける様子や山頂からの俯瞰、どれも本来の活躍の場である伯備や紀勢西線で意外に撮れないシーンで、これはこれで撮らなければという気になっています。

 381はあまり先がなさそうな感じですが、帰省ついでに狙うにはいいところという感じがしています。撮影回数増えるかもしれないなあ・・・。

 
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自問自答 撮り残しは、ないか [山陰]

 最近、色々と出かけています。約10年分の荷が下りた気分なのです。とはいえ、そろそろ引き締めないといかんかな。

 ・・・でも、今年の紅葉はいい感じかも♪ ですね。赤系がちゃんと色づいていることが多いようです。あああ、気づいてしまった(笑)



 サイトの方の表紙にも出しましたが、かなり久々に山陰線の鳥取ー米子間に行ってきました。というのも2週間前ですね。すんません。

 この区間、寝台特急「出雲」、キハ58、キハ47、全て国鉄色でした。10年前まで「国鉄王国、山陰」らしさを最後まで保っていた区間でした。

 そんな鳥取―米子間、キハ58置き換え間近の2003年9月に出撃しました。
 天気は・・・午前中は霧でたり、雨降ったり、散々だったことを思い出します。
 そんな雨がやんで曇りになり、行ってみたかった撮影地に行きました。
 あんまりきれいな写真ではないですが・・・中学生の写真なのでご勘弁を。


2003年9月15日 山陰本線 泊‐青谷

 RMの2002年3月号「国鉄色は今!」という、なんとも「まがまがしい」タイトルの特集が出ている号に、掲載されていた1枚の写真で覚えた撮影地でした。

 煽り雑誌としての「怪しさ」がありながらも、出ている写真の水準は当時最先端クラスだったこの雑誌に、本屋で出会った時の号でした。お年玉で若干潤った財布から1000円出して、迷うことなく買った覚えがあります。


 さて、この号に載っている写真では「出雲」の後打ちでした。写真としての出来以上に、撮影地があまりないと思っていた区間での写真だっただけに色めき立った覚えがあります。
 残念ながらこの日のこの場所での晴れカットはキハ47の1本だけですが、いい思い出です。

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 鳥取のキハ58引退から8年。キハ58が完全に去ってからこの場所に一度も登ることなく、2012年になりました。
 今めぼしいものといえばキハ47のみ。しかし、全て更新済み。「出雲」もだいぶ前になくなったし、屋根スッキリなヨンナナのためだけにわざわざ行くかな。長らくそう思っていました。
 しかし、地元で抹茶色ばかりみていると・・・それが大いに贅沢であることを痛感しました。
 タラコはともかく目立つ。そして、風景は変わらないはず。
 ずっと国鉄色を守り続けている米子支社に敬意を表しつつ、改めて山陰へ行くことにしました。

 かつて4時間近くかかった道のり、今や高速道路がほぼ完成しているので鳥取まで2時間強。とてつもなく早く着きました。
 そして、朝からあの撮影地へ。何と言っても今日は高気圧ど真ん中、100%バリ晴れが約束されている!朝から手を変え品を変え、当時ではできなかったものを形にしよう、と考えました。
 行って見れば風景は殆ど変わらず。撮影地の方は草がかなり伸びて立ち位置が半分くらいになった印象はあるものの、まだまだ余裕を持って撮影可能な状態。そして、キハ47は1時間に上下各1本。
 かつて最低限の装備で写真を撮っていた頃を思い出しつつ、シャッター。


 この日から、この10年余でちゃんと撮れていないカットは他にないか?、と自問自答しています。


2012年10月20日 山陰本線 泊‐青谷


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忘れることなど・・・できるものか [山陰]

 8月になりましたね。Blog管理人は雑務がますます・・・なので少しお休みをいただいておりました。
 8月は手もちのネタには事欠きませんが、さてさて・・・。

 今日は中学生の時の写真でも出しましょうか。まあ、当時は不運続きで悪い思い出が多くそっちも忘れられませんが、そういう頃に出会った車両や風景というものはずっと忘れられないようです。
 

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2003年8月14日 山陰本線 宝木駅

 国鉄王国、山陰。かつてはこれに類した言葉が雑誌でよく踊っていたものです。走っているのはキハ58にキハ181、キハ47など国鉄型気動車。しかもほぼすべて国鉄色。ブルトレ出雲あり、伯備貨物も全て原色。その他にもいろいろ。にぎやかだったわけです。被写体が多かっただけに、雑誌も充実した内容のものを出していました。
 私がようやく山陰などに遠征出来るようになった時にはすでに山陰西部の主だったキハは銀箱化していて、鳥取―米子間だけでした。
 鳥取米子間は雑誌など書籍上ではあまり撮影地のでていない、撮りにくい地域というイメージがありましたが、当時普及し始めていたインターネットはそのイメージを覆してくれました。各サイトでは様々な写真が出ていて、毎日新しい情報が出ていないか、学校から帰宅してすぐcheckしていたのを思い出します。
 そうやって集めた資料をもとに研究を重ねつつ、この年の8月と9月に各1回現地に行きました。もう8年前なのですね。私にとってはまだ過去になっていない過去なのですが。

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 1回目は天気予報気にせずML八重垣の指定券を確保し、T君と18きっぷで行きました。大阪-岡山間はPF、岡山-出雲市はDD51(手元の写真によると、
この日はDD51 1179[後])が牽引していました。編成はブルーの14系客車4両。満席でした。
 必死で親に頼み込んで電話で発売当日の窓口が開いてすぐに予約を入れてもらい、何とかとれた指定券でしたが、14系客車は青のバッタンシート(簡易リクライニングシートというやつです)で、寝づらいことこの上なかったです。しかも1号車。運悪く電源エンジン付きのスハフでした。停車するたびにうるさいエンジン音で目が覚めてしまい・・・。
 結局、岡山駅での機関車付け替えまで起きてしまいました。そうなればせっかくだからと見物しに行きました。
 確か庭瀬あたりから上石見あたりまではしっかり寝てたと思います。起きていた時の列車のスピードの印象は姫路まで最高90キロくらい、姫路からは70キロくらい。DDも同じ感じでした。今からよく考えると、ここまで起きてるんならいっそ谷田峠の25‰を力行するエンジン音を聞いてみたかったような気もします。まあ4両では軽過ぎかな。

 目が覚めると、カタン・・・カタン・・・と、揺れながら、列車は走っていました。デッキの方を見ると、DDの顔がゆっくりと左右に揺れながら見えました。外は小雨模様。ほとんど暗闇ながら僅かに明るくなりつつある外の田園風景をぼんやり見ながら、時を過ごしました。
 しばらくして山が迫ってきたかと思うと鉄橋を渡り、トンネルを抜け、やがて減速して駅に滑り込む・・・。ここでようやく自分がどこにいるか分かりました。生山駅、4時55分。この駅でも客扱いはありましたが乗降客がいたかは不明。
 大阪発は22時27分。岡山発は2時24分。本当は7時間寝れる所をわずか2時間半しか寝れていないという驚愕の事実を目の当たりに。しっかり者のT君は慣れているのか、ちゃんと大阪駅から寝てました。
 根雨5時14分発。次は伯耆大山。だんだん明るくなってきたところで、乳白色に包まれた空が見えてきました。大山見えないなあ(当然)。
 やがて本日初めてのオルゴールが鳴り響く。ハイケンスのセレナーデ。もちろん国鉄そのもののオルゴールでした。灰皿にもJNRマーク。なんとも国鉄な列車でしたが、確か2004年頃を最後に設定がなくなりました。最後の年はDD51の通し運転で走りました。
 かつて大阪駅を西に向かってたて続きに出発し、在来線全盛期を思い起こさせる存在だったJR西のMLシリーズの中では、ML山陽とともに早い時点でなくなった列車でした。JR世代の私にかつての夜行列車の魅力の一端を教えてくれる生き証人たちでした。

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 伯耆大山で下車。5時44分。外は雨模様。すぐやってきたキハ47の5連に揺られ、大山寺駅で下車。しばらく駅撮り。キハ58の4連とか、キハ47と58の4連とかを撮影。その後キハ47に揺られて、移動。前夜の無理が祟り出雲は車内より軽く見る鉄。野太いDDのエンジン音だけはよく覚えています。
 天気悪いので長和瀬など風光明媚な撮影地はパス。宝木駅に落ち着きました。・・・しかもT君に判断丸投げという、非常にたちの悪い私でした。あの時は本当にありがとうございました(_)。
 その時の順向き1発目が上の写真。詳しいことは今一つ覚えていないですが、雨に濡れた雰囲気が撮りたくて縦位置で切り取りました。雨の中、か細い三脚に1台のカメラを載せ、タオルでくるんだカメラをしっかり手で握って、シャッターを切りました。


 現役バリバリの国鉄色キハ58による快速列車。当時復活塗り戻しでも何でもない国鉄色キハは山陰だけ、ということがよく言われていたと記憶しています。一貫して走り続けてきたものだけがまとう、現役という空気。そのインパクトは巨大でした。
 今だったら鳥取まで車で4時間もかからないので毎週のように通ってしまいそうですが、中学生だから2回だけ。しかもこの日のベストショットはこれだけといっていい状況です。
 でも、だからこそいっそういとおしいのかもしれません。


色違いのサーチライト [山陰]

 この日は地元の方々が各所からかき集めたサーチライトを使ってのライトアップ。ふもとの小学校から太鼓の音が響いていたのを思い出します。やはり地元にとって特別な存在であったであろう餘部鉄橋。この日はサーチライトをかき集めてのライトアップで、それに合わせてのことだったのかなと思っています。

 この時のライトアップは今までよりたくさんのサーチライトで多数の橋脚を照らすという触れ込みでしたが、1個だけ玉の色が違うやつで、向かって左側のだけオレンジ色のものでした。頑張って集められたんだなあ・・・と企画された方々の熱意を感じましたが、現場ではこいつをどうするか、少し悩んだのは事実です。

 お立ち台から降りてきて、そのライトに照らされた橋脚のたもとを通り過ぎようとした時、鉄橋の元々の色に近いオレンジ色だけにこの橋脚だけ撮ったらなかなかいいのかもしれないなあ・・・と思って三脚を立てて、おもむろに数枚、バルブしました。


2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部

 何枚か撮ってすぐ、ライトがパッと消えました。お祭りはこれでおしまい。



 100年間風雪に耐えてきた鉄橋について、この日はぼんやりイメージしていたものを撮れたような気がしています。


 餘部鉄橋そのものにはこの後にも数回行っていますが、この日は何となく印象深いです。

最終列車  [山陰]

 餘部鉄橋を夜間に通る列車は存外少なく、急行「だいせん」や「出雲」がない状況下ではわずか3本でした。
 22時過ぎ、はまかぜ5号の通過です。これが「だいせん」廃止以降、この界隈の最終列車となっています。
 「だいせん」の通過は深夜で、高校時代にT君(=よさんこさん)が竹野駅での交換やら餘部鉄橋での光跡流しにトライされていたのを思い出します。


 地元の企画で、この日は橋脚7本をライトアップするというものでした。それまでよりずっと照らされる範囲が広い、ということで同行のサイト管理人の気合いの入り方はただならぬものでした。

 主だった橋脚は全て浮き上がり、さらに浜坂方面への通過列車となるとお立ち台しかなかろうと、先ほどの撮影地から歩いて移動。
 着いてみるとお立ち台には同業者のほか、テレビ局の方まで。

 気持ちが入っているとやはりよりよいものが撮れるというものなのでしょう、やはりサイト管理人の写真の方が極まっていると思っていた所、快諾いただけたので掲載。
 


2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部 撮影:とも

 思えば、私にとってはこれが餘部での「はまかぜ」撮影、最後の時でした。この日も桃観峠へ向かって、重々しい轟音を残して夜の山陰線を走っていきました。闇夜で照らされた、折り重なる橋脚と相まって非常に印象的でした。


この日は祭り [山陰]

 地元企画による、餘部鉄橋のライトアップの日でした。最終のはまかぜ5号まで撮影しました。


 早速、海側から、キハ47のローカルで露光。


2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部


 岩場まで暗い中降りていって、時間まで待ったのち、少しずつ鉄橋が照らし出されて浮き上がっていく・・・という光景を思い出します。

 もっとも、被写体は明るくても自分の方は真っ暗。当時使っていたカメラにバックライトなんて便利なものはついておらず、銀塩なので背面モニタなんてものは原理的にあり得ないですし、しかたなくライトで照らしながら撮影していたのを思い出します。



 ほんの数年前まで機材投資は極限まで切り詰めていて、当時は恥ずかしながらカメラ1台にレンズ2本。それなりに吟味はしていましたが、かなりの軽量装備でした。

 機材はそこそこに、旅費最優先で活動していました。その他の経費も「1列車1枚励行」を徹底して節約していたものです。

 今は・・・できるかなあ(汗)。ついつい数枚切ってしまいます。

夕暮れ時 [山陰]

 次の2本は太陽だけが雲の中に。全く日が射さない中通過して行きました。

 背後の山の頂上近くまで登るなんてわけにはいかないので妥協的に。北西斜面の通称「赤土」から。
 カニ臨とか国鉄色181が走っていた頃は時々登っていたのですが・・・。数年ぶりでした。

 登ってみるとびっくり、背後の赤土の斜面はジバチの巣だらけ。まあおちょくらなかったら大丈夫らしいんですが、青いハチが背後でブンブンやってるのでなんとも不気味・・・でした。そして、我慢した割に全てさいならーだったので。あああ。





 とぼとぼと降りてくると、もう日暮れです。太陽の方だけに雲があっても、沈んでしまったら関係ないです。見上げる空はやはり青いのです。当初の狙い通り、日が沈んだ後の2本はシルエット狙いをすることにしました。




 だんだんと暗くなっていきます。青が深まっていく時刻。少しの時間差で全く雰囲気が変わるので、極めようとすると非常に奥の深いテーマのようにも思います。まさに一期一会。






2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部


 今日もまた日が暮れていく・・・。なんともいえない気持ちが、今日もする。



夕刻の餘部  [山陰]

 諸寄から戻ってきて、狙いは「はまかぜ6号」。北西側の田んぼから狙いましたが、この時も手前の田んぼが陰りました。「ばばかぜ」だけに雲を呼んできたとしか思えません。


 交換でやってきたキハ47を撮りました。しっかり日が当ってきれい、です。






2007年7月18日 山陰本線 鎧-餘部


 ここは田んぼだけでなくこいのぼりがあがったりとかで変化のある場所だそうですが、私が撮影したのは2回だけかな・・・この年の3月末に菜の花と撮ってた覚えがあります。



海沿いのまちへ [山陰]

 1往復を林道俯瞰で撮った後、遊歩道ポイントへ移動。15-16時台に餘部鉄橋を通る列車が少ないことから、タラコのキハ47や33を撮るべく浜坂以西に転戦することが多かったようです。


 諸寄はかつての北前船の寄港地。長く日本の物流の大動脈の一端をなしていたそうですが、今は本当に静かな町です。



 海岸には砂浜が広がっていて、海水浴客も見られました。



 この空を見ると思い出すねえ、梅雨が明けると海開きで白砂青松の続く海岸を眺めつつ学校の水泳訓練が続く毎日だった・・・そんな話をふと、梅雨明けの空を見上げて母親がしていたのを思い出しました。私は海育ちではないので裏山のサワガニを取りに行ったりするイメージでしょうか。人それぞれ思い出深い、夏休みの始まる頃になってきました。





 諸寄のこの撮影地、定番の切り位置は駅付近なのですが、海沿いで道路工事が始まっており、ちょっと撮りづらい状態。定番位置で切れない・・・考えあぐねた末、奥のSカーブを狙いました。これはこれで、まあいいのかな?







2007年7月18日 山陰本線 諸寄-居組