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雨の日 [北陸]

 今日は雨降り。

 ちょうどいいとばかり、関西から任地へ、延々と車での旅。

 平たん線が多くて運転が楽という理由で、今回も北陸周り。

 雨天。暗くひんやりした中、新緑した風景は柔らかくて、鮮やかで。

 いつしか、どこかで撮れないものか、と考えている自分がいた。

 高速や8号から余り離れず、背後が全てこの緑。どこかないか。



 まず大糸北線を思い浮かべたが、ふと地鉄の電車が撮りたくなった。

 撮影地はよく知らないが、吸い寄せられるように、宇奈月方面へ。




2014.5.5 富山地方鉄道 愛本-内山




 いい出会いだった。



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7年前の冬、南今庄駅にて [北陸]

少し寒さが緩んできたでしょうか…。まだまだ寒いですけど。

相変わらず鉄いけてないです。少しレンズ買おうか?とか考えてる今日この頃です。

 では、少し前の写真でも。


7年前の冬、南今庄駅にて。

当時はヒートテックなんていう安くて便利なものもなく、高校生の分際ではちゃんとした防寒着も持っていなかったので、寒かったこと寒かったこと…。
 ユニクロのコートに古いセーターやらフリースを重ね着していましたが、限界がありました。
 思い出すだけでも辛いものがありましたが、駅先端で雪がガンガン降る中、待ちました。


米原から475系ローカルに乗って、南今庄下車。ダイヤ通りなら丁度ローカルがでた直後にやってくるので、ついたときには日本海4号がもう行っている予定だったのですが、まだこない、と…。

 雪のせいで遅れているようです。

ということで、物悲しく「禁じられた遊び」やら「グリーンスリーブス」のチャイムが鳴る、吹きっさらしの寒ーいホームの上で、ひたすら待つ、待つ。

あのチャイム、雪が降る中で聞くと病みつきになると個人的には思っています。しばらく家で口ずさんでたよーな。

列車がしばらく来ない間は少し待合室に避難したりするけれど、それでも寒かったです。

この年は豪雪で、南今庄でも1メートルを軽々越える積雪でした。

雷鳥8号がさらっと通過。次々やってくる列車をを撮っている間に雪が本降りになり・・・・。


2005年2月6日 北陸本線 南今庄駅

2時間遅れでやってきました。べったり着雪しているわけでもなく、HMが見えているわけでもなく、で何とも微妙なところではありましたが、このような雪の中での撮影が初めてで、こういう写真を撮れるだけで素朴にうれしかったのを思い出します。


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EOS20Dが出た直後の冬です。つまり、この頃普及価格帯のデジが現れたということです。この日、初めて沿線で目にしました。

 こう言うと何となく時代がかっている?たった7年前ですよ。いや、7年って結構長いか(汗)。



そうか、大学生は夏休み、夏休み♪なのか [北陸]

 9月になりました。いや、もう1週間たってますね。


 小中高はツクツクホウシの鳴き声と一緒に夏休みの終わる悲しい頃でしたが、大学生は7月の梅雨明けが休みでない代わりに、9月が大抵ドンと1カ月休みです。大学生なりたての妹がそれこそ「大学生♪」しています。随分あれこれと忙しいそうで大変そうではありますが、若いなあ。





 少しばかり、先日松任工場に展示され、その後保存が決まったという富山のゴハチの写真を追加しましょう。

 今年は全く注目されませんでしたが、9月頭といえばおわら臨というイメージが私には昔からありました。越中八尾で行われる「おわら風の盆」の観客輸送のために様々な車両が高山本線の臨時列車や定期列車代走に使われるのですが、撮り鉄的にはそちらの方が注目度高し、でした。

 しかし、もともと「おわら風の盆」はどういうお祭りか。目的は豊作祈願ですが、この時期にやる理由は台風で収穫前の稲が被害を受けないように・・・だそうです。まさに今年はその時期に西日本を巨大台風がぬけていきました。今年は災害が多くて本当に胸の痛む年ですね。

 台風だけでなく例年天気が概して悪いのもこの時期の特徴。そういうわけなので、おわら臨はともかく晴れない!去年は4日が休日&晴れ&国鉄色の奥地運用でしたが、結局情報収集のミスで奥地運用は高岡色と勘違いしてパス、山陰線に行ってました・・・とりあえずでもいいから行けばよかったかなあ。



 そんなおわら臨ですが、2008年の9月は晴れ予報ということで思い切って行きました。

 急行きたぐにを富山駅で4時半に降りて、まずは回838Dを確認。これは富山のキハ58の定期運用のスジでした。こちらが高岡色ならもう片方の代走運用は国鉄色。代走運用は猪谷まで日中2往復なので撮影地的には○・・・出来たらこちらに国鉄色が来てほしいもの。

 運よく回838Dが高岡色だったので、代走運用は国鉄色確定!始発に乗って笹津に向かい、寝不足で頭がぼんやりする中、山登り。そうして到着して、しばらく粘り、撮ったのが今年の3月4日にUPしました写真。→リンク

 この場所、実は同じ足場から何回か撮り続けることができます。25‰を登坂するゴハチのエンジン音を聞きながら、じっくりと撮ることができました。300ミリから広角レンズに付け替えて・・・。


2008年9月1日 高山本線 楡原-笹津

 この風景も捨てがたいものでした。

 神岡からDE10重連で貨物列車が走っていた頃(2003年ですからすでに撮り鉄はしてますが、1度も撮ったことありません・・・)にRMで紹介され、ずっと気になっていたこの撮影地、裏側を覗くとこんな風景が広がっているとは思いもよらなかったので、うれしかったのを思い出します。

 この場所にはこの時しか行ったことありませんが、何か走るならまた行きたいな・・・せめてタラコのキハ47とか。


波並漁港から [北陸]

 返しは波並漁港から。波並駅からすぐにして素晴らしく箱庭的なロケが展開していて、一般広告で背後の丘からの写真を見かけたことがあります。
 やはり同業者が多数居並ぶ中、待ちました。


 天気はだんだんと悪くなって曇り基調へ。



 漁港では地元の漁師の方が黙々と網を繕っておられました。本当に静かな光景でした。時々軽トラを網の上で走らせてならしたり・・・何とものんびり。



 1980年頃の同じ場所での写真を見たことがありますが、基本的には何も変わっていませんでした。4半世紀前と大きくは変わらない光景だったんだろうなと今も思います。

 





 この時の撮影ではほとんどそうでしたが、この場所でも先走りのローカルなく1本勝負。非常に緊張感ある撮影でした・・・。



 その上、この場所、線路の手前に国道があるのです。時々車が来ます。



 結局、列車が来た時に国道を宅○便のトラックが向かってきて、切り込んで撮っていた人々は涙をのみました・・・。私は軽トラ入れてたので広めにとっていたので、何とか回避はできましたが・・・。






2004年8月8日 能登線 波並-藤波


 まあ、曇りなので・・・。ゴハチでなくていいから晴れた日に撮ってみたかったです。

 今は線路だけがなくなり、あとはそのままなのでしょう。撮り直したくとも、もはや不可能。


終着駅 [北陸]

 最近雑務がますます・・・なので、更新ペースが随分落ちてしまいました。あと数回分を、せめて今月中に出さなければ・・・。


 では、話の続き。

 能登線の終点は蛸島駅でしたが、この時の「能登路」は珠洲駅が終着駅でした。折り返しまでの間、駅に入って撮影しました。
 珠洲駅はホームは島式1本だけで、それに留置線が2本と車庫があるだけという簡素な駅でした。静かな街中にある小さな駅でした。
 到着後しばらく、ホームで撮影。少し撮りにくい位置だったのが難でした。下り列車はこちらのホームを使うことになっていたので仕方ありませんでした。
 


2004年8月8日 能登線 珠洲駅

 しばらくして入れ替え作業が始まりました。


2004年8月8日 能登線 珠洲駅

 手旗を振って、安全確認。ヘッドライト点灯、エンジンの唸りとともに、一旦穴水方へ。



 駅本屋側にある留置線で撮影会が行われました。だんだん雲が割れ、晴れてきました。


2004年8月8日 能登線 珠洲駅


 留置線ではこの時運転されたキハ58と、のと鉄道移管後から急行「能登恋路号」で使用されたNT800系を並べていました。どちらも2002年まで能登線の急行列車で使われていた車両です。


 NT800系の方は車内を開放していました。運転台から入って車内を見物できました。運転台から入って1両目だけ冷房が入っていてもう1両は掛かっていませんでした。同業の方が「ものすごい暑いですよ」というのを聞いて2両目に好奇心で入ってみたら、恐ろしく暑くてすぐ撤収したのを思い出しました。
 車内の写真は残念ながら撮ってなかったような・・・。座席は黄色いチェックの生地で転換クロスシートだったと記憶しています。




2002年に能登線の急行は全て廃止されました。




 転換後に自前で急行用の新車を入れたり列車増発したりと頑張って、のと鉄道は転換後しばらくは黒字経営を実現していたそうです。タブレット閉塞だった運行システムをCTC化したりもしたそうです。線路も重軌条化していたそうで、駅でレールの断片を数百円で売っていましたが職員の方によると40kgレールであるとのことでした。最近はこれがほとんど・・・とおっしゃっていました。国鉄の簡易線といえば20kg台だったと記憶していたので当時驚いた覚えがあります。
 このレールの断片は1つ買ったのですが、やすりで磨いて今も文珍に使っています。
 いろんな努力をされていたそうですが、廃線になったのが残念です。
 当時の鉄ファンの記事では、七尾線転換が経営に大きく響いたと書いてあったと思います。その号は手元に有るはずなんですが、どの号に書いてあったか、まではさすがに覚えていないので、詳しく書くのはやめておきます。








2004年8月8日 能登線 珠洲駅


 まだゴハチを機回しする前の写真なので曇ってますが・・・丁度普通列車が発車して行くところだったので撮影。特に発車合図とかはなく、静かに発車して行きました。どこか駅員殿の雰囲気がさびしげでした。
 普通列車用に使われていたNT100系は能登線廃止後全てミャンマーに飛ばされたそうです。今はこの車両も日本国内を走っていません。







 最後に、ゴハチの顔のアップ撮りで。





2004年8月8日 能登線 珠洲駅



内浦の海はただ穏やかに [北陸]

 いい撮影地の多かった能登線ですが、もっとじっくり撮りたかったな。この半年後の3月、穴水から先の区間が廃止になってしまいました。

 高校生なりたての分際では自分の力で何度も行くのは無理でした。奥能登は500キロ果ての地。しかも同じくらい遠い大糸とは違い夜行とかは利用しづらい(急行きたぐにで金沢3時到着、2時間待ちして七尾線を乗り継いで穴水8時・・・泊まりがけならかろうじて可能なレベル)ので大糸よりよっぽど遠い印象がありました。大糸線なら急行きたぐに1本で糸魚川に5時半到着、そこからうまく回れば徒歩でも一日中漏れなく撮影できました。そういう意味でも本当に遠いところでした。

 今も残っていたら、間違いなく通うだろうな。


2004年8月8日 能登線 矢波-波並

 先ほどの撮影地から追っかけて、これはいいかも、と思った所で下車。海の色がいいなあ、と思い、集落の雰囲気とか雲の雰囲気とかいいなあ、とも思い、あれこれ考えてたら通過時間なんてあっという間に来てしまいました。少し練りきれないまま、時間になってしまいました。


 能登線はアップダウンの激しい路線で、キハ58はゆっくりと、時々タイフォンを鳴らしながら走っていました。簡易線規格で1960年代になってようやく全通した能登線。そこかしこにある25‰を登って下って・・・でした。

 能登半島の南側の内浦海岸は本当に穏やかな海でした。海沿いに広がる風景は、観光地でも何でもない地味な風景でしたが、そこかしこに違った風情を感じさせ新鮮でした。


 この後、すぐ近くでもっといい撮影地を見つけアングリ。又機会あったら行くことを誓って、北進。



 この時の反省・・・通過15分前には撮影地に着くこと。


能登路 盛夏の頃 [北陸]

 2004年。この年は写真的には充実してたのかな。でも、いろんな意味で悪夢の時代。帰りたいか?特に当時の同級生だった友人とはよくする話題です。

 うーん、口では「被写体だけ帰って来るんならエエんやけどなあ」とか言っとりますが、本音ではやり直したいかな。確かに嫌なこと多かったけど、それでもしておきたかったことがたくさんあります。



 ・・・まあいちいち書くのはやめておくとして。



 ただ一つ。愚痴は「あきらめていない」から、言えるもの。






 この日の遠征先は能登線。国鉄色に塗り戻された金沢のキハ58による急行「能登路」の撮影に行きました。

 一発目は今も鉄道が残っている和倉-穴水間で狙うべく撮影地探し。昔から能登鹿島あたりの海岸線がよく知られていますが、草が高かったので諦めて能登中島の近くの田んぼから狙いました。
 鉄が農道に集中する中、丁度農家の方々が農薬散布のためやってこられました。こんなにおられたら困る、はやく出ていってくれというご様子。しかしそこはイベント列車の走る日だけありました。群衆の中から「ある時間を過ぎたら一斉に皆いなくなりますので・・・あと10分だけ待って下さい」とお願いに行く方の姿がありました。ご好意をいただいた農家の方ももちろんのこと、こういったことができる方ってありがたいです。

 そうして何とか排除は逃れた撮影地で、あれこれ考える・・・。通過直前まで無言でアングルばかり考えているのは今もあまり変わりません。



 そして、時間。タイフォン一声。築堤をかけ下ってきたのは本当にピカピカの国鉄色。こう言った「国鉄色」の車両が走り出したはるかな昔にはこのような印象を与えてくれたのか、と思わせるものがありました。


 通過後すぐ、集まった人々は大抵穴水駅での停車時間等を使って列車を追っかけるので、速攻撤収。5分後にはほとんど人がいなくなっていました。速い・・・。地元の方もアングリだったことでしょう。



2004年8月8日 七尾線 能登中島-笠師保


 原版では左上に入道雲が出ているのが分かるのですが、PC上だと再現しづらいですね。何となく見えるでしょうか。





 そうそう、大学の友人で奥能登の山奥から出てきている人がいますが、穴水という地名が分かっただけで随分とビックリされました。

 全国各地に行っていると、お会いする方とその方の地元の話が少しはできることが多いです。便利なのかな?どうなのだか。




3月改正にむけて [北陸]

 今月のダイヤ改正といえば、撮り鉄的には
・九州で485系一斉置き換え
・富山のキハ58
・雷鳥の完全置き換え(8号、33号)
・北近畿特急用183系の置き換え開始
が大きいでしょうか。

 地味ですが紀勢西線系統も整理が入り、阪和色113系や103系の淘汰、381系国鉄色によるライナーの特急化と国鉄色381の北近畿転用、紀勢線特急の減便や一部減車(ex;オーシャンアローを白浜で増解結)が行われます。
 あけぼの、日本海、きたぐにと日本海縦貫関係の夜行列車が一斉淘汰という噂もありましたが、とりあえず今月で廃止ということはないようです。
 また、ダイヤ改正ではありませんが、石北貨物が来シーズンからさらに1往復減便のようですね。


 この3月に去るもの達はどれも多かれ少なかれ私たちに思い出を残してくれた車輛たちです。しっかりと、お別れをしなくてはいけません。今までありがとうございました、と感謝しなくてはなりません。

 個人的に今回一番大きいのは、雷鳥の完全置き換えと富山のキハ58の引退です。どちらも完全にこの地上から消滅してしまうのです。私は、一つの時代の終わりを感じます。
 今日は富山のキハ58のことを書きます。


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 かつての急行用気動車として、全国で活躍したキハ58。最後の活躍の地は意外にも富山でした。


 富山県による高山線増発社会実験の車輛不足を補うため、予備で残されていたキハ58が4両集められ、走り続けてきました。高山線からはもともと10年以上前に撤退してキハ120化されていたのですが、異例ながら復活することになったわけです。

 そのうちの2両が、2008年の夏に急行色に塗り戻されました。


 ただ、塗り戻されたのが定期運用で猪谷まで入らなくなった後。走っているのは富山平野を淡々と行く富山~越中八尾間で、当初は大してアングルないだろうなあと抵抗感がありました。(もっとも、素朴な田園風景が広がり、北アルプスが時に風景を引き締めるので、意外とアングルが多様であることに後になって気が付きました)。
 一番困ったのは平日限定で、運用はJRによる公式発表がなく予測するしかないこと。富山自体は決して遠いところではありませんが、撮影に行くのは非常に勇気がいり、結局国鉄色の走りは2回しか撮れていません。


 そのうちの1回は、おわら臨で猪谷まで2往復入線した時。その時のものを紹介します。例によって今回も「鉄路慕情記」にUPしていたものですので、原文に一言を添える形でいきます。UPした日は2008年9月7日です。開設と同時にUPしました。


2008年9月1日 高山本線 楡原-笹津


(原文)

 この直前に予讃線の千丈S字で定期のゴハチロクゴを待っていましたが、ただでさえドン曇りの上に直前にバルサン攻撃を受けあえなく大轟沈。代走もなかったのでとぼとぼと今治での野暮用に合流。
 しかしここで負けるわけにはいきません。帰りがけに翌日は富山劇晴れという話をともさん(鉄路慕情記の管理人)から聞いてしまったので、大阪に帰ってすぐに急行きたぐにの客となりました。狙うは最近国鉄色になった富山のゴハチ。おわら臨で運が良ければ国鉄色ゴハチが猪谷まで入るはず。そうでなくても平地で黄金に輝く稲穂とともにかなりの本数が撮影できるはず!
 結局、猪谷に入るほうに国鉄色が入ったので、眠い目をこすってこの俯瞰地へ登りました。予報に反して流れ雲が多くひやひやしましたが、写真が上がってくると湖面に映った空の表情を思いのほか良い感じで感激しました。

(一言)
 この時期、四国ではキハ58が最後の活躍をしておりました。特に予讃線松山以西では1往復の定期運用のほか、他の車輛の検査代走で時々走っていました。
 この時、四国で野暮用があったのでついでに定期を狙いました。結果、惨敗だったわけです。

 塗り替え直後でピカピカの国鉄色、本当にまぶしかったです。しかし、この時から屋根はサビサビでした・・・。
 
 この時から結果として2年半走り続けましたが、富山のゴハチは満身創痍で故障も多かったとか。お守り役も毎日ギリギリで何とか送り出している…という話を聞いたことがあります。本当に、お守り役の方もキハ58もお疲れさまでした。